鹿児島のダンススタジオ DIAMOND・DANCE・STUDIO (DDS) 鹿児島県 鹿児島市 上荒田町3-20福永ビル102

ストリートダンスの発生と歴史について① (2021-02-02 13:02:00)


KEI
2021-02-02 13:02
何回かに分けて僕の知っている範囲でストリートダンスの発生から歴史についてお話しします。
せっかくはじめたダンスの事をよく知りたいという人も多いと思います。
是非読んでください。

ストリートダンスとはその名の通り、路上で踊るダンスという意味から発生し、各ジャンルに分かれてそれぞれの発展をしていきました。
HIPHOP BREAKIN POPIN LOCK HOUSEなどのダンスの総称をストリートダンスというので、ストリートダンスという踊りがあるわけではありません。

いつの時代もダンスというものは音楽と遂になっていることがほとんどです。ストリートダンスの歴史を語る上でどうしても避けられないのは音楽と時代のリンクです。
例えば、ジャズ音楽に合わせて踊るもので言えば、1927年にチャールズ・リンドバーグが西洋単独無着陸飛行を成功させた事に名前の由来を持つ『リンディーホップ』や、1940年代に生まれた『ビバップ』というジャズのジャンルにちなんだ踊りなどが存在していました。現在フィットネスクラスなどでZUMBAというレッスンが普及していますが、これは1950年代に流行ったハーレムズンバという、今で言うハウスステップに近い激しいステップで踊っていたものから由来して作られたプログラムです。
しかしながら、現在のようにストリートダンスが世界中で普及していくにはかなりの時間がかかりました。

1970年代に入り、ニューヨークでDJクールハークが2台のターンテーブルでDJを始め、長いブレイクビーツの中で、ダンサーたちは独自のダンスを披露する事になります。ブレイクダンスと呼ばれ、ブレイクダンスをする少年たちをBーBOYと呼びました。
1970年代後半になるとアフリカン・バンバータはDJ MC グラフティー ダンサーを集めたHIPHOP集団ズールー・ネイションを立ち上げ、HIPHOPという言葉が使われるようになる。
ズールーネイションのメンバーのダンサー・グラフィックアーティストでもあるMr.Wigglesは鹿児島県ストリートダンス協会で来鹿してもらいレッスンをしてもらいました。特にC-MEN先生はグラフティーも教えてもらい、仲良しです。
HIPHOPは黒人の方たちが作ったと思われている方も多いですが、ニューヨークのSouthBronxで生まれスパニッシュやプエルトリカンの方が作りました。ジェニファーロペスも自身の曲で 私はBRONX生まれのストリート育ちだ という歌詞を入れた曲も歌ってますね。アメリカは多人種国家だから、BRONXから生まれたものが、隣町のブルックリンやハーレムの黒人がすむ地区に瞬く間に広まったのでしょう。

そして、ストリートダンスが注目される時代に変わってきます。
1970年代に全米ネットになったTV番組『SOUL TRAIN』は瞬く間に大人気となりダンス好きの若者たちがこの番組でダンスの腕を披露すべくオーディションの列を作ることとなるのです。この時代の流れの中でふとした偶然から生まれたのがLOCKダンスです。
その後1975年にはPOPPINという筋肉を弾いたり、ロボットのような動きをするダンスが考案されます。
POPPINを作った伝説のチームELECTRIC BOOGALOOSEのメンバーはその後マイケルジャクソンと出会い世界中を共にします。この『SOUL TRAIN』は日本でも放送され、大阪のテディー団さんが世界ディスコダンスコンテストで3位になり話題となりました。僕も何度かお会いして話をしたことはありますが団さんはとても暖かい方で全ダンサーのお父さん的な良いな方ですね。
ソウルダンス、ロック、ポップは日本のダンス文化の基礎となり、坂見誠二さん、YOSHIBOWさん率いるBe Bop Crewなどの日本初のプロダンスチームにより広く普及されることとなります。
ダンスの神様としておなじみの坂見誠二さんはDDSでもレッスンをしてもらっていますし、僕も一緒に踊ったり、コンテストやジャッジをご一緒させてもらっています。

※Be Bop Crew 坂見誠二さんYOSHIBOWさん率いる世界のレジェンドダンサー。弟子にはTRFのSAMさんやYOSHIEさん、そして僕が初めてダンスを習った広島のPEETさんなど凄い方達がいます。この方々かいなかったら日本のダンスシーンはここまで大きなものにはなっていなかったでしょう。

ということで、今日はここまで。
次回は1980年代に突入です。お楽しみに。